「あなたがいてくれて良かった」
今回のコラムは、都内のある訪問看護ステーションで、主に緩和ケアの業務に携わる看護師さんから聞いた一人の患者さんのエピソードを紹介します。以下の文章はその看護師さんの「語り」になっています。
ご利用者さんのこと
彼は65歳で末期の食道がんを患っていました。やせ型の小柄な体つきでいつも穏やかな表情で接していただき、周囲には物静かな印象を与える方でした。
独身で両親は早くに亡くなり、兄弟もなく、本人がおっしゃるには友達もいなくて、正真正銘の天涯孤独の身だとのことです。
国立大学の電気工学科を出て、数年間大手の電機メーカーに勤めた後、独立してエンジニアとして仕事をされていました。
「会社を辞めたのは、人間関係を維持するのが、とにかく苦手だったからで、エンジニアという仕事を選んだのは、あまり人と話をしなくて済むからです」
と、私に話をしてくれたことがありました。
仕事は順調だったのですが、バブルの崩壊とともに、急激に下降線をたどり、42歳のときに一切の仕事を辞めてしまいました。細々と、それこそ爪に火を灯すように質素に暮らせば、なんとか食いつなげるぐらいの預金はあったそうです。
テレビもなく、携帯も持たず、新聞も取らす、社会の情報は図書館で読む一日遅れの新聞で得、グルメの趣味もなくお酒も飲まないということですから、本当に質素な生活を営んでいたのだと思います。
清澄庭園での癒しの時間
彼の唯一の楽しみは、アパートから15分ほど離れた清澄庭園に行くことでした。仕事を辞めてから20年間、ほとんど毎日清澄庭園に出向き、1~2時間の時を過ごします。
「カワセミの姿を見ることもあります。コバルトブルーの羽がきれいですよ。ここは都会のオアシスですね。毎日来ていても飽きることはありません」
私も彼から教えられ、清澄庭園に一度行ってみました。本当に美しく落ち着きのある日本庭園で、すっかり魅了されました。
それからひと月ぐらいたった頃でしょうか。がんの影響が全身に出始め、歩くことが辛くなってきました。日課だった清澄庭園の散歩も行けなくなってしまいました。
治療といっても痛みを和らげることぐらいしかできません。やがて、ほとんど起き上がることもできず、布団に横たわるだけの日々になりました。私はそれまでは週に一度程度の訪問看護を実施していたのですが、一日おきに通うようにしました。
彼は一度も弱音を吐いたことがありません。私が訪れると、どんなに辛いときでも笑顔で迎えてくれます。
身内のいない一人ぐらしのアパートで重い病気と闘うのは本当に不安だと思いますので、「病院に入院されますか?」と尋ねると、弱々しく首を振って「ここで死なせてください」とおっしゃいました。
最期のとき
ある日の夕方、血圧を測り痛み止めの投薬も終えたので「帰りますね」と告げると、「少し待ってください」と呼び止められました。「少し私の話を聞いていただいていいですか」と言ってきたのです。
私は「もちろんです。私でよかったら何でも話してください」と言い、彼の手を握りながら耳を傾けました。彼の方からこのように話しかけられるのは初めてでした。
彼は布団の中で、上をむいたまま話し始めました。
「私は青森の下北半島の海岸沿いにある貧しい漁師の家に生まれました。父の仕事は昆布獲りで収入は微々たるものでしたが、私が中学の時に父は冷たい海で心臓発作に襲われ命を落としました。母は父の死後、掃除婦をしながら私を大学まで出してくれましたが、心労がたたって私が大学2年の時に肺炎で亡くなりました。それから私はずっと、一人ぼっちの人生を歩んできました・・・」
このように自分の生い立ちを約1時間にわたって話してくれたのです。その間、私は一言も口を挟まず、ひたすら彼の話に耳を傾けていました。ときどき、うなずいたり、「そうなんですね」といった同調の言葉をまじえながら。
話し終わると、彼はいつものようにやさしい笑みを浮かべて「自分のことをこんなに話したのは初めてです。つまらない話を真剣に聞いていただいて、こんなに嬉しいことはありません。ありがとうございました。もう何も思い残すことはありません」
そして私の手を強く握り返し、「あなたがいてくれて良かった」と小さな声で言いました。
瞳にはかすかに涙が滲んでいたように思います。
それから一週間後に、彼は六畳一間の家具や調度品がほとんど見当たらない質素な部屋で息をひき取りました。
私はその直後、勤めていた訪問看護ステーションを退職しました。経営者から「辞めて欲しい」と言われたのです。経営者の女性は私にこう告げたのでした。
「あなたは何か勘違いしている。私たちは訪問看護という事業をしているのよ。あなたみたいにお金を受け取らないで何時間もご利用者さんの家に長く居て、『私はその人のためになっている、看護している』って勘違いしている人は、正直お荷物なの。それは看護じゃない。ただの奉仕、ボランティア。そばにただ一緒に付いてあげることが、あなたにとっては看護かもしれないけれど、経営の視点で見たらそれじゃ困るの。決められた短い時間内でそのご利用者が自立できるようにするのが看護なのに、そこを履き違えているのよ」
私は経営者さんの言葉にうなずき、そのステーションを辞めることにしたのですが、私は勘違いしていたのでしょうか?患者さんとできるだけ多くの時間を共有しようというのは、間違った考え方なのでしょうか?
(医療コミュニケーション協会 須田)
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