「ハラスメント」に関する一考察
筆者がまだ若かりし頃は、「コミュニケーション力」という言葉は一般的に流通していませんでした。もちろん、「コミュ力」なる略語も存在していません。当時の社会では、対人コミュニケーションの能力はそれほど重要ではなかったことは間違いありません。
コミュニケーション力が重要視された背景としては、産業構造の変化によって労働構造が、第一次産業・第二次産業から第三次産業へシフトしていった事情が大きいのでしょう。つまり、黙々と作業をしていれば良かった「作業現場」の仕事から、対人交渉能力が必須の「サービス業」へ産業の主流が移っていった結果、「作業を黙々とこなす労働者」から「対人関係性を器用に構築できるビジネスパーソン」に大勢がシフトしていったわけです。そのため、医療現場でも黙々と仕事に没頭していれば良かった医師やスタッフも、一定の対人センスが求められるようになったのです。なぜなら、医療はもはやサービス業の領域に入っていると捉えられているからです。
「コミュニケーション重視」の現場化が進めば進むほど、それまでにはあまり気にならなかった事が問題視されてきます。その典型的な例が「ハラスメント」です。いまだに女性スタッフに対してベテランの男性スタッフが「〇〇ちゃん」と下の名前で呼び、さも自分の娘のように扱うのを好む傾向がありますが、それは、おじさんたちが女性たちの人柄や人格を実際よりずっと幼いイメージの中に閉じ込めようとするからで、その方が扱いやすいからです。そして、おじさんたちは「気さくな上司、物の道理が分かる人生の先輩」という役柄を自ら演出することこそをコミュニケーション力と勘違いして、娘呼びや食事の誘いを平然と行う訳です。しかし、今どきそれは「ハラスメント」に当たるわけで、おじさんは「え?何で?」と親愛の情を込めた己の行いが「問題視」されることに、戸惑いと、時に憤りを感じるということになります。
「ハラスメント」は、まさに「コミュ力」が重要視されてきた時代の副産物だといえるでしょう。
ハラスメントを糾弾する場合の大きな武器として、SNSがあります。直接本人に言葉でもの申すわけではないので、SNSで発信される短い言葉の中には、「ハラスメントは悪だ」という世間の趨勢を後ろ盾に、かなりの過激な言葉が発せられています。
一例を挙げてみましょう。ある若手の医療スタッフが先輩スタッフのパワハラを仲間内のLINEで糾弾している書込みです。
「〇〇さんは、他人の欠点をあげつらうほど完璧な人間なんですか?」
との指摘が書き込まれていました。○○さんの行為をパワハラだと決めつけた上での書込みです。これに多くの「LINE仲間」たちが賛同し、それを知った上位管理職から○○さんは注意を受けたのだそうです。SNSとは無縁の年配の〇〇さんは、LINEでこのような発言が若いスタッフの中で「廻されている」ことに気づきもしませんでした。上位管理者から〇〇さんが注意をされたことで、若いスタッフたちは留飲を下げたということです。
「〇〇さんは、他人の欠点をあげつらうほど完璧な人間なんですか?」という問いかけは、一瞬、パワハラを受ける側の真っ当な意見に見えます。しかし、そこに「ハラスメント=悪」信仰の嫌な部分を垣間見ることもできます。
このLINEの言葉を裏から見れば、「完璧な人間性を備えた上司・先輩でなければ、部下・後輩の欠点など指摘できないと思うのですが、あなたはそれほどの人格者なのですか?」と問い質しているようにも聞こえます。日頃からハラスメントに敏感で、その行為が犬畜生にも劣るものだと思っている人々は、「ハラスメントこそが差別の根源的な悪だ」という「絶対善」的な論陣を張って、鈍感なおじさんたちを貶めにかかっているようにも見えます。彼らは無意識のうちに「ハラスメントを平然と行う邪悪な奴ら」と「差別意識を持たないクリーンな自分たち」の2別に分断して、「邪悪」なハラスメント野郎を叩くことが「善」だと考えているフシが垣間見えます。
「あなたは人の欠点を指摘できるほどの人格者なのですか?」という物言いは、「完璧な人格者以外は他人の欠点をあげつらうことなど許されない」という解釈にも取れ、「はい。私は人を貶めることを絶対にしない倫理的に完璧な人間です」という、ありえない立場に追い込もうとしている罠を仕掛けているようにも見えます。
言うまでもなく、ハラスメントは「悪」です。しかし、「私たちは不完全な人格者・人間同士です。ですから、不快な行為をしたり不健全なコミュニケーションを取っている人がいたら、注意し合うことで職場を安全・安心な場に育てていきましょう」というのが、基本的な立ち位置であるべきで、「正義の名のもとにハラスメントを攻撃する」という行為の「絶対性=正義性」の恐ろしさも、「ハラスメント」を考える上で、頭の片隅に置いていただきたいと思います。
(医療コミュニケーション協会 須田)
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