コミュニケーションとは何なのか?時事問題から考える組織コミュニケーション
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医療コミュニケーション協会の秦野です。日大アメリカンフットボールチームの問題が報道されましたが、こうした問題は病院施設でも起きる可能性があります。そうならないためには何が必要なのか?本当のコミュニケーションとは何なのか?について書かせていただきます。
ソーシャルスキルとしてのコミュニケーション能力
最近、「ソーシャルスキル」とか「コミュニケーション能力」とか言う言葉をよく耳にします。若者たちも「あの人コミュ障だよね」などと、コミュニケーションに若干違和感がある人には、かなり敏感に反応しています。就活においても、人事採用担当者はこれを最重要視していて、面接を受ける学生は勉学よりも笑顔や面接のトレーニングに必死だったりします。
人材育成、組織教育の面からも、企業・組織は、既存の社員に対し接遇研修やクレーム対応研修、ラインケア(部下のメンタルヘルス)研修等、対人関係に関する様々な研修で、手を変え品を変え、これらの向上を目指しています。
人間社会は、根本的に人と人のつながり、コミュニケーションで成り立っています。これらの能力が低ければ、意思疎通や情報の伝達、共有にずれやギャップが生まれ、業務に支障をきたし、対人関係にもすれ違いや対立、断絶等が生じ、社会が成り立たなくなってしまう。これは放っておくわけにはいかない大事態なわけです。
学校では教わってない!?本当のコミュニケーション!?
なぜ、最近急にコミュニケーションについてこんなに言われるようになったのでしょう?
学生時代には、特にそんなトレーニングを受けた事もないのに・・・。
それは、学校とういう社会と大人の組織社会では、コミュニケーションの大前提が違うからかもしれません。
本来「コミュニケーション能力」って何でしょう?
誰にでも仲良くとか
人に気を使いうことが出来るとか、
お互いを尊重することが出来るとか・・・?
学生時代までの、未熟な社会では「仲良く」とか「一緒にいて楽しい」とか、
友人関係で、初対面の人と、親や教師等の大人との会話など、限られた自分を中心とした狭い世界での感情的な安定や利益のためにコミュニケーションを取ればよかったけれど、オトナになって会社組織に所属すると、俄然世界は広がります。「コミュニケーション能力」にも全く違う基準や成果が求められてきます。
そもそも組織の目的は、「一人でできない事を、多数で、人数以上の成果を上げる」ことです。その為に、共通の目的に向かって、協働して、情報の共有をする。そこでは、質の良いコミュニケーションをとる必要があります。
そう、学校と違い、会社(組織)では、どうしたって成果が求められる。「協働して成果が出る」ためのコミュニケーションが必要です。自分の持っている情報や技術、感性や知能を他の人が、(もしくは他人のそれらを自分が)最大限有効に活用・利用して、一緒に働いて良い結果を出せるコミュニケーションでなければなりません。多数の他人が、正確に、誤解がなく情報を伝達共有する、自主的に興味関心を持ってお互いを理解しようとする、いわゆる「良い関係性」を創らなければならないわけです。
本当のコミュニケーションには、衝突もある!!
価値観の全く異なる多くの他人が、それぞれの関係性の中で協働すると、そこら中でぶつかる。良い結果を生み出すためには、価値観の衝突は必然です。単に「気が合う」「仲良く」「話が盛り上がる」「お互いを尊重できる」・・・だけでは、良い関係性とは言えません。より良い成果を出すために、あちこちでぶつかりながら、それでも諦めずに「対話」して、お互いを理解しようとする姿勢がある事が重要になります。
人の気持ちを慮る言動は、コミュニケーションのほんの一部分で、人当たりが良いだけでは、コミュニケーション能力が高いとは言えないのです。
お互いが、小さくても様々な約束を誠実に果たし、トラブルや衝突を乗り越え、それでも理解しようと相手に向き合い続ける姿勢に、「信頼関係」は生まれ構築される。意見がぶつかってもいいんです。しかし、最近の人々は、あってもいい衝突をも避ける傾向にあります。経験値が少ないから、衝突後の関係性の修復力が弱い。衝突したが最後、致命的なコミュニケーションの断絶が起きてしまう。それどころか、衝突を避けるあまり、重大な過失を見過ごし、あまりに大きな問題に発展するということもしばしばです。
「日大アメフト部タックル事件」にみる悪しき組織コミュニケーション!?
連日報道された「日大アメフト部」の事件は、このような組織コミュニケーションの問題、コミュニケーションの本質を見失った組織の悪しき体質がくっきりと明るみにされました。
①上長への絶対服従の要求 → 従わない者への報復、排除
②独裁欲求、優位性の誇示 → 他者へマウント(恫喝、攻撃、虚勢)
③トラブルに対する「犯人探し」 → 仕組みの改善への責任逃れ
④減点評価 → 上長より有能な部下は不要
こんな組織では、自発的な思考が停止し、信頼を構築する機会や衝突すら生まれるわけがない。自発的な行動や提案、責任を負おうとするなどと言う行為は、損はあっても得することはなく、ここでは、意思、意見の表明は危険行為でしかありません。人々は、いわゆる「指示待ち」→「発言しない」→「自発的思考を停止」という状態に陥ります。当然の結果です。
異なる意見を自分への攻撃ととらえたり、知らない事や変わる事を恐怖、羞恥と考え、他者(部下)への優位性を誇示するために虚勢を張って誇示したり、自己顕示欲から、常に誰かをマウントしなければ自分を主張できない大人たち・・・。あなたの周りにも、一人や二人、いないでしょうか・・・。
「正しい」って、本当に正義!?
自分だけが「正しい」と思いこむことは、とても怖いことです。
こちらが「正しい」と言えば、あちらは当然「間違っている」わけで、
それは当然、対立を生みます。それぞれに立場があって、価値観が違う。見ているもの、
守もの、専門が違えば意見も違う。
「正しい」からと言って、人を攻撃してよいのでしょうか?
私は自分が「間違っていない」で十分だと思うのです。
自分の意見を主張することは素晴らしい。どんどん言ったらいい。しかし、誰かを攻撃することで必要以上に、自分の権利や承認欲求を満たす行為は、精神的に幼稚で未熟と言わざるを得ません。
コミュニケーションの本質って何でしょう?
とかく、その手法ばかりに目が向きますが、相手の立場を慮って、どんな人にもまず「人としての敬意」を持つことを忘れたくない。
社会組織の中でのコミュニケーション
そして、リーダシップを取るのは、上司、役職者、年配者、経験者に限った役割ではありません。役職・序列は、組織としての責任の所在を示しているだけであって、コミュニケーションを排除する要因になってはいけないと思います。
それぞれ一人ひとりが組織の中で、主体的にさまざまな役割を相互に果たすことで、組織の中の自浄作用が保たれ、本来の共通の目的に向かって協働し、最高の成果が出るのです。その自分の役割を、探し、気づき、見つけ、相互に貢献する為のツールが、コミュニケーションなのです。
「一般社団法人 日本医療コミュニケーション協会」ではコミュニケーション向上に対する様々なセミナーや資格講座を毎月開催しております。ご興味のある方は以下ページよりお申込み/お問い合わせください。(医療コミュニケーション協会 秦野)
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