エグゼクティブへの傾聴

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エグゼクティブへの傾聴

経営にも関わる上位の管理職をエグゼクティブと言います。欧米の企業などではこのような地位にいる人は、ほぼ例外なくコーチやメンターといった「相談者」を雇い(場合によっては内部で調達し)、自分の考えや、やろうとしている事を客観的に評価してもらい、気づきを喚起するアドバイスやコンサルティングを受けたりしています。

病院のトップにアドバイザーは不要?

しかし、医療機関においては、国内外問わず、理事長や院長、各部署の部長といった管理職の立場にいる人たちが単独でコーチングを受けたり、メンターを常に近くに置くという例をあまり目にしたことがありません。むしろ、相談に乗ったりアドバイスをするのは、自分の役目であり、自分が受ける方にまわることなど考えたこともない、といった思いが強いのではないでしょうか。

ここで、強く言っておかなければならないことは、「相談に乗ったり、アドバイスをする立場にある人は、自分も相談をし、アドバイスを受ける必要がある」ということです。

ある事例を紹介しましょう。
C病院のR院長は非常にカリスマ色が強く、医療分野での実績よりもその卓越した経営手腕で、100床規模の病院を3年ほどで250床クラスの急性期医療を担える地域の基幹病院に育て上げました。
そのサクセス・ストーリーは時にマスコミにも採り上げられ、R院長は地域の名士として名を馳せていました。

課題は離職率の高さ
院長のカリスマ性によりC病院は有名になりましたが、実は離職率が高いという慢性的な病巣を抱えていました。
なぜ、スタッフが次々と辞めていくのか。それはカリスマ院長の「陰」の部分に関係します。

院長は大変頭が切れる人物として、周囲から一目置かれていましたが、自分の思想や価値観は絶対的な普遍性を持つという信念がありました。つまり「私の言う事はあらゆる視点から捉えて100%正しい」ということを疑わない人でした。
ですから、職員に対しは有無を言わせない口調で厳しく指示を下し、逆らうことは許されません。かと言って、野球部の鬼監督というようなイメージではなく、紳士的でソフトな口調ながら、ぐさりと釘をさすといった感じなのです。

職員たちは自分の意見も言えず、当然、おかしいと思っても反対意見を述べることもできずに、そのうちストレスが最高潮に達し離職していくという構図になっているもようです。

R院長からの依頼
ある時、私はこの病院の事務長から院長のエグゼクティブ・コーチングを頼まれてくれないかと相談を持ち掛けられました。
院長自らがコーチングに興味を示し、ぜひ自分もコーチを付けたいとの希望でした。以前にこの病院で接遇研修を行ったことがあり、その時に院長のワンマンぶりはいろいろ聞かされていたので、「はて、自分の考えが100%正しいと思っている人がコーチを求めているとは?」と、いぶかしく思いつつ、とにかく院長と面談することにしました。

院長は聞いた通り紳士的で一件温和な感じでしたが、独自の価値観を持ちそれにどんな相手であろうと従わせずにいられないといった感じで、ほんの15分ぐらい話しただけでそのことがはっきりと分かりました。
「何のためにご自身のコーチングが必要とお考えなのですか?」と私はストレートに訊ねてみました。
院長は、「当病院ではずっと離職率が高い状態が続いています。それはもしかすると私が原因なのかなと思い始めているのです」と苦笑いを浮かべて言い、「残念ながら従業員たちの中で私にはっきり意見を言える人間はいないでしょう。でも、外部の方なら指摘してもらえるのではないかと思ったのです」と続けました。R院長は以前、医師会の集まりでコーチングのことを知り興味を持ったとのことでした。

反発と影響
そしてコーチングが始まり、院長と対話を続けていく中で、私は特に院長の表情とか眼の動きを注意深くとらえるようにしました。すると、院長はここは強く主張しなければならないといった場面で、一瞬怯えたような眼の動きをすることに気づきました。

私は大変失礼ですがと前置きし、「院長は子供の頃、もしくは若かりし頃、怖いと感じていた人が周囲にいませんでしたか?」と訊ねました。
院長はそのぶしつけな質問に一瞬不快な表情を見せましたが、私の質問に重要な意味があると感じたらしく、「実は最初に勤めた病院の院長が厳しい人でねぇ」と話し始めました。もう、少しのミスでも烈火のごとく怒り、辺りかまわず怒鳴り散らすような人で、今でもその院長が夢に出てくるんですよ、と笑いながら話してくれました。

医療の基本を見習うべき最初の“師匠”が怖い人で、怒鳴りつけられ、恐怖を植え付けられた記憶がいまだに尾を引きずっているようです。院長は冗談めかして言いましたが、確かにトラウマになっているのかもしれません。自分はああいう風には絶対になりたくない、その強い想いがスタッフに対して紳士的に対峙するという姿となって表れているのだろうと私は感じました。

その一方で、“師匠”の有無を言わせずに相手を従わせるといった姿勢には無意識ながら強い影響を受けてもいて、いわば「愛憎入り混じった」複雑な感情をいまだに整理できないままここまで来てしまい、“師匠”への反発と影響が、今の院長の人間性をかたちづくっているような気がしたのです。

強く出ようとするときの怯えた眼の動きは、若い頃、“師匠”に怒られたときの眼の動きを、今でも無意識に反映させてしまっているのかもしれません。

共感的傾聴

院長との面談では、私は院長の心の深い部分に共感することだけを心がけ、ただひたすら話を聴くことに徹しました。院長が言った事柄への評価は一切せず、解決に導くような質問や誘導もせず、ただ言ったことへの同調と、院長の「いま、ここ」への寄り添いに徹したのです。

何回目かのセッションの後、院長の言動に明らかな変化が現れてきました。「そうか。人に話を聞いてもらうってこんなに安心するものなのか、と最近思うようになりましたよ」
照れ笑いのような笑みを浮かべてそう言ったのです。
「今までは、ご自分の話を熱心に聞いてもらえなかったとお思いなのですか?」と私は尋ねました。
「いえ、皆、熱心に聞いてはくれるんです。でも完全に一方的で、こちらが話をし、相手はそれに従う。これまで会話とはそういうものだと思っていたように感じます」

 話し手と聞き手が対等の立場で会話をする。そんな経験はもう何年も前から途絶えてしまっていたのかもしれません。「人に話を聞いてもらうことが、こんなにも安心することなのか」・・・R院長のこの「気づき」が、院長スタッフとの距離を縮める第一歩となればいいな、と思いました。(医療コミュニケーション協会 須田)

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