ナラティブ・アプローチ

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ナラティブ・アプローチ

患者さんの看護や介護などの支援をする際、通り一遍のケアではなく、患者さんの語る物語(narrative)を通して解決方法を見出していく方法が最近、特に訪問看護・介護の分野で注目されています。この方法をナラティブ・アプローチと呼びます。

全人的に受け入れる

訪問看護や介護の場合、ケアを実施する患者さんは高齢期、終末期である場合が多いと思いますが、そのような患者さんに対しては、治すのではなく、緩和・寛解を目指すのが主目的となります。そして、看護する側、介護する側が相手の生活の場に踏み入ることによって、その患者さんのみならず、ご家族やその家にまつわる“物語”を共有することになります。

ある訪問看護ステーションの看護師さんはこのように語ってくれました。
「病院ですと大きな“箱”の中に患者さんがいて、すべて病院のルールのもとで治療や看護が進められていきますが、在宅ですとご利用者さんの家に我々が入っていくわけですので、その人の個性やそのご家庭のルールを尊重し従わなければなりません。そこが最も苦労する点だと思います」

その家のルールに従うとは、つまりその家にまつわる“物語”を理解し、それを受け入れるということです。ここからナラティブ・アプローチは始まります。

訪問看護・介護におけるナラティブ・アプローチでは、最初に患者さんや家族に対し、「これからどのように生きたいのか」「どんな暮らしをしていくことが望みなのか」に視点を置いたヒアリングを行っていきますが、その患者さんの人生観やこれまでの出来事、思い出などを聞き出すことも重要なポイントとなります(その際には「傾聴」や「質問」などのコミュニケーション・スキルが必要になってくるでしょう)。

そして、患者さんやご家族が抱えている問題や嗜好などを、全人的に受け入れ、それを消化し、支援を行っていく手立てを考えていくわけですが、どのように患者さんや家族に接し支援をしていくのか、今度はこちら側(看護・介護をする側)の“物語”が必要になってきます。

“物語”をシート化する

ある訪問看護ステーションでは、看護師同士の看護観の共有を図り、お互いの理解を深め合うため、ナラティブ・アプローチの手法を積極的に採り入れています。

長い間救急病院で看護師をしていたAさんは、ある考えのもと、この訪問看護ステーションに転職しました。ステーションの師長のKさんは、Aさんが新しい領域にチャレンジする上で、これまでの自らの看護を内省し、自分の経験や考え方を言語化して物語として見つめ直し、それを新しい職場の同僚に理解してもらうために、シートに次の項目について書き込んでもらうようにしました。

①過去の経験から、忘れられない患者への看護場面
②なぜ、その場面が忘れられないか
③その場面における看護は、自分に何をもたらしたのか
④今後、自分の看護をどのように進めていきたいのか
⑤今、自分が大切にしていることは何か

Kさんは、ステーションで働く全員にAさんに書いてもらったシートを配り、Aさんの看護の思想や価値観を分かってもらうようにしました。
思想や価値観は、もちろん人によってそれぞれ違っているのが当たり前です。しかし、お互いの考えを知り、お互いに認め合うことにより、より強固で柔軟なチームワークが図れるようになるのだとKさんは言います。

「がんばりましょう」は本当に言ってはいけない言葉なのか?
ナラティブ・アプローチは、一般医療の現場の接遇にも生かされるべきだと考えます。私たち、医療コミュニケーション協会では、接遇を考える際、まずはマニュルありきの接遇をやめましょうと主張しています。

マニュアルに記されたマナーや所作を否定するものではなく、決まりごとに捕らわれた接遇に頼っていては、本心から患者さんや家族の方々が満足しない、という視点で接遇を考えているのです。問題は、患者さんや家族に心から寄り添った接遇ができるかどうか。それはとりもなおさず、相手の方々の“物語”にどれだけ共鳴できるかということであり、それこそが真のケアである、と考えています。

うつ状態や、末期の癌を患っている患者さんに「がんばりましょう」という言葉は禁句ですよ、とよく言われます。
よけいに患者さんを精神的に追い詰めてしまう、というのがその理由のようです。だから、「がんばりましょう」は言ってはいけない、と頑なに自分に言い聞かせている医療スタッフをよく見かけます。

これなども、ある種の「マニュアルに縛られた決まり事」なのではないでしょうか。
重篤な疾患を抱えた患者さんの苦しさや辛さを医療スタッフが少しでも引き受け、共に治療を続けていこうとするとき、思わず「がんばりましょう、私たちもできるかぎりのことをします」と言ってしまったときの「がんばりましょう」は本当に言ってはいけない言葉なのでしょうか。

「がんばりましょう」は、私たちが患者さんの“物語”に共鳴し、「相手と共に在る」と決意を新たにしたとき、自然発生的に出る応援の言葉です。たとえ、がんばっても先がない患者さんであっても、医療スタッフから真摯にその言葉を言われた時、本当に患者さんは傷ついてしまうでしょうか。

患者さんの心情は、決して画一的ではありません。その患者さん一人ひとりに独自の“物語”が存在します。その物語にていねいに耳を傾け、共感の心を示せれば、「がんばりましょう」が、時には患者さんの心を揺さぶることもある、と私たちは考えます。
(医療コミュニケーション協会 須田)

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